ヒューストン(Houston)

{ Posted by admin on December 18, 2009 }

ヒューストン(Houston)は、アメリカ合衆国テキサス州南東部に位置する都市。1,953,631人(2000年国勢調査)の人口を抱えるテキサス州最大、全米第4の都市である。ハリス郡を中心に10郡にまたがるヒューストン都市圏の人口は約470万人(2000年国勢調査)にのぼる。サンベルトの中心都市の1つとして高い成長を続けており、2007年の推計では市域人口約220万人、都市圏人口約562万人に増加している。市域面積は1,500km²におよび、市郡一体の自治体を除くとオクラホマシティに次ぐ全米第2の広さである。

ヒューストンは1836年8月30日にオーガストゥス・チャップマン、ジョン・カービーのアレン兄弟によってバッファロー・バイユーの河岸に創設された。市名は当時のテキサス共和国大統領で、サンジャシントの戦いで指揮を執った将軍、サミュエル・ヒューストンから名を取って付けられた。翌1837年6月5日、ヒューストンは正式に市制施行された。19世紀後半には海港や鉄道交通の中心として、また綿花の集散地として栄えた。やがて1901年に油田が見つかると、市は石油精製・石油化学産業の中心地として成長を遂げた。20世紀中盤に入ると、ヒューストンには世界最大の医療研究機関の集積地テキサス医療センターやアメリカ航空宇宙局(NASA)のジョンソン宇宙センターが設置され、先端医療の研究や航空宇宙産業の発展が進んだ。古くからこうした様々な産業を持ち、フォーチュン500に入る企業の本社数がニューヨークに次いで多いヒューストンは、テキサス州のみならず、アメリカ合衆国南部のメキシコ湾岸地域における経済・産業の中枢である。また、全米最大級の貿易港であるヒューストン港を前面に抱え、コンチネンタル航空のハブ空港であるジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港を空の玄関口とする、交通の要衝でもある。また、日本を含む世界86ヶ国が領事館を置く国際都市でもある。

このようにヒューストンは工業都市・ビジネス都市としてのイメージが強い都市であるが、文化水準の高い都市でもある。ダウンタウンの南側には10以上の博物館・美術館が建ち並び、年間700万人の訪問者を呼び寄せるミュージアム・ディストリクトがある。ミュージアム・ディストリクトに隣接するエリアには、全米の総合大学の中で常にトップ25位以内の高評価を受けている名門私立大学、ライス大学のキャンパスが広がっている。一方、ダウンタウンの中心部に位置するシアター・ディストリクトはヒューストンにおける演技芸術の中心地で、演劇のみならず、オペラ、オーケストラ、バレエなど多彩な演技芸術の公演が行われている。

ジョンソン宇宙センターの存在から、ヒューストンには1967年にSpace City(宇宙の街)という公式な別名がつけられた。地元住民はこのほか、Bayou City(バイユーの街)、Magnolia City(マグノリアの街)、H-Townなどと呼ぶこともある。

サミュエル・ヒューストン

{ Posted by admin on December 18, 2009 }

サミュエル・ヒューストン(Samuel Houston, 1793年3月2日 - 1863年7月26日)は、19世紀アメリカの軍人、政治家。テキサス州ヒューストンの名の由来となった。

バージニア州ロックブリッジ郡に生まれる。1818年に軍を退役したのち、弁護士となる。1823年からアメリカ合衆国の下院議員、1827年からテネシー州知事をつとめる。1835年からのテキサス独立戦争では、テキサス軍を率いてメキシコと戦い、1836年4月にはサンタ・アナ将軍を捕らえて独立を認めさせた。同年成立したテキサス共和国の初代大統領に選ばれた。1838年には一旦落選したが、1841年には再び大統領の座に就いている。1845年テキサスがアメリカに併合されると、州選出の上院議員を13年間つとめ、1859年にはテキサス州知事となった。

1861年、南北戦争の勃発に先立ち、テキサス州のアメリカ合衆国離脱及び南部13州からなるアメリカ連合国への加盟に反対し、知事の座を退いた。